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小説「ヒイラギとツバキの関係」

ヒイラギとツバキの関係         

秋月十紅/著

「穂乃香さん、お風呂先に頂きますね?」

「どうぞ~、あっ姫依……肩まで浸かって百数えるのよ〜」

は~い。と素直に返事をする姫依は、横目で穂乃香と犬の写真がプリントされたダンボールを横目で確認した。

穂乃香は、整った目鼻立ちに薄い肌色。微かに化粧はしているものの、それだけで端麗な容姿を纏い媚びない美しさを持っている。それは素の良さを周知の元に晒けだして全くの無表情でいると近寄りがたいそんな印象を与える。

況して仕事着のパリッとしたジャケットにパンツスタイルで若輩ながら某社の重要ポストに就いていそうな。そんな穂乃香なのだが。

彼女はその風貌のまま、胸の辺りまである長い垂髪を鬱陶しそうに掻き揚げて。男らしく胡座のままで、

「あの……お風呂入る前に、それ手伝いましょうか?」

「いいよ。姫依が上がる頃には組立てておくからね、これはね大人の仕事よ」

リビングに騒然と広げられた犬用ゲージをパーツ別に並べ、組立て説明書を読んでいるかと思ったら、本屋で一時間も悩んで買った『はじめての愛犬シリーズ』を股に挟んで目を落としている。

なるほど……大人の仕事ね。と感心しながら、

「う……うん……がんばって?」

気が早って何から手をつけていいか分からない状態の穂乃香を半眼で見やってから、姫依は部屋着を抱え脱衣所へ向かった。

実は、姫依も気が早っているのだ。いつもより高い心臓の音が自覚を促す。

悪戯な心臓は、キュッと部屋着を握り締める手を震わし吐息を荒くした。

そして、堪え切れずに、

「ボ、ボクが風呂から上がるまで子犬出さないでね!」

人差し指を立て宣言するように言切ってから駆け足でバスルームへ。

かけ湯もそこそこに猫足のバスタブへ飛び込んだ。

「こんな日が来るなんて——」

姫依は柊家の一人息子として大事に育てられていた。が、世界の相次ぐ金融危機の中、外資依存度が高かった柊家はあおりを受け大打撃を受けたのが今から半年前。

そんな中、由緒ある名門柊家を立て直す為世界各所を奔走する事になった両親が、交友関係が深かった椿家に初等部を卒業したての姫依の事を相談したのが始まりだった。

相談を受けた椿家当主は、地元を遠く離れた地で一人暮らしをしている椿家三女の穂乃香に預かってもらう話を進めて現在に至っている。

自分の身の上に降り掛かっている事。

中等部に入学して一週間でいきなり転校しなければならなかった事。

地元から遠く離れた地。キャリーバッグ一つで見知らぬ地に降りた時から知っていた。

初めて見る人の濁流の中、知った顔すら迎えの者も居ない。人込みに弾き出された姫依は孤独に苛まれ、ただ呆然と携帯のGPS。地図画面を、知らない地図に現在地が指し示された画面を茫然と見るだけしか出来なかったのだ。

額に玉の汗を浮かべ前髪を貼付ける姫依など察する者もそんな心優しい人も居ない。居るのは場慣れしない姫依を邪険にする者や冷ややかな目で見る者だけだった。そんな喧騒に毒づくように自分の置かれている立場を肯定した。それがこの地での最初の出来事。洗礼だった。

「ひいらぎ……ひより君?」

姫依は、深淵に臨み薄氷で足を捕られる。酷い雑音が脳内をブラックアウトへ導くそんな時。耳の近くで囁かれる甘味で明らかに温かさが含まれた響きが鼓膜に届いた。

「柊姫依君でしょ? 迎えに来るのが遅くなってごめんね」

咄嗟に左手で屋敷から持ち出した大切な品が詰まったキャリーバッグを握りしめ、右手はボタン一つで両親に唯一繋がる大切な電話。それらを必死で失わないように力一杯握りしめ警戒しながらゆっくりと声の主に顔を向けると、

「は、はい。つ……つばき、ほのかさんですか?」

「そうですよ。ようこそ我が街へ、よろしくね姫依君♪」

目線を合わせ屈んでいる穂乃香の眩しく慈愛に満ちた笑顔が飛び込んできた。

疎外されるように地元を離れた姫依にとっては自我の限界に達しかけていた事もあり人目も気にせずそのまま柔らかく温かそうな自分を誰だか知っている穂乃香の胸に飛びついたのだった――……。

湯舟に映る白く霞む姫依は、目を線にして口の両端を吊り上げ笑顔という言葉では納まりきらない表情を見せている。あの日を思い出すとこんな嬉しさを味わえる日が来るなんて想像できなかったからだ。

「――こんなボクが犬を飼えるなんて」

小声でバスルームに独り言を響かせてから、穂乃香に言われたように百を数えることにした。

律儀に声に出して。

今日は、特別に気分が良い。ただ、それだけだったのだが。

カチァ……

ノックと共に僅かに開かれるドアの隙間から、

「姫依……なんか呼んだ?」

「よっ、呼んでません。呼んでませんってば! ちょっ! ちょっと! バスタブの底の方見てニヤケないでください!」

穂乃香が桃色の唇に手を添えて上品に顔を綻ばせている。そんな彼女は続けて、

「本当に男の子なのかなぁ? って思って――」

上品な笑顔の影から何かの欲がはみ出た小悪魔のように薄く笑って、ドアを締めていった。

気にしている事を遠慮無しに言ってのけたその影を睨みつけながら姫依は仁王立ちになり、

「つ……ついてますよちゃんと! そんなの見ちゃいけません! 想像しちゃいけません!」

湯舟に映る姫依を激しく揺らしながら抗議した。

水面にはあまりにも成長を見せない華奢でなだらかな身体に細い手足。痩せている訳ではなく酷い幼児体型。マシュマロの肌が映し出されていた。

そのことを初等部の保険医に相談した事もあった。「特に気にしないでいいよ。今は本当に女の子みたいだけど身体は少しずつ大人になっていくから。先生もそんな時あったのよ」と。保険医の言葉に支えられて姫依は凌いできたのだ。 

姫依はそんな事を考えながらもう一度肩まで浸かって、今度は声が漏れないように水面に口を付けブクブクと気泡を作りながら百まで数え終わると、

「子犬。なんて名前にしようかな♪」

そっとドアを開け穂乃香が居ないのを確認してから白く柔らかなバスタオルに包まり初めて飼う犬に思いを馳せる。

ペットショップで初めて見たあの瞬間。

小さくて華奢な肢体を必死に奮い起こすあの姿を見た時から自分に重ねていたのかも知れない。つまりは一目惚れで。

椿家にお世話になる身でありながらこんな我侭が許されるのかと不安が過ぎったが思い切って言って良かった。と、子犬との出会いを振り返った。

その子犬は、イタリアングレーハウンド。

臆病者だけど、一度懐くと強い信頼関係を築く。そんな犬なのだ。

姫依は、少し濡れた足でリビングに飛び出しタオルを頭に巻き自然乾燥を待つほっこりとした姿を穂乃香に見せつけた。すると彼女は満足気に見つめ返し顎を突出し豊満な胸を偉そうにふん反りかえらせて、

「凄いでしょ? 褒めてくれたら『はじめての愛犬シリーズ』を読ませてあげてもいいわ」

 凄く散らかった部屋の中央に椿家のお嬢様らしく気品と愛嬌を漂わせ、見事に組み上がった犬用ゲージとおトイレセットを自慢げに披露した。

姫依は、こんな穂乃香でもこの数ヶ月の付き合いでそれなりに強い信頼を寄せている。

時に大人らしく、時に子供のようで。素直な彼女に厚い信頼を寄せているのだ。

だから姫依は、「ワン!」と一言答え、踏ん反り返る穂乃香の胸に我侭を零す。

「大好きです。穂乃香さん! この犬もボクも大切にしてくださいね」

 更に、機嫌を良くした穂乃香は、

「お褒めの言葉はないんだ? じゃあ、新幹線の自動改札の前で立ち尽くして世間知らずな痴態を晒していた事誰かにいっちゃおうかなぁ~」

 穂乃香は、悪戯に目を眇めながら姫依の腰に手を回して言い、

 姫依もまた穂乃香に手を回して、

「さすがです穂乃香さん! 姫依も子犬も幸せ者です!」

 犬が尾を振るように姫依の髪は中に舞い、頬を擦り付けて喜びを表現したのだった。

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