小説「ヒイラギとツバキの関係」3
ヒイラギとツバキの関係 3
秋月十紅/著
「危なかったです」 独り事を誰も居ない下駄箱に響かせていると、最終下校時刻を知らせる鐘の音が鳴った。 姫依は、この時間まで学校に残っている事が多い。 早く帰宅しても迎えてくれる家族が居ないからだ。 《お疲れ様です。穂乃香さん! 帰りに子犬のおもちゃを一つだけ買って帰りたいので六時三十分頃帰宅します》 五時三十分以降は穂乃香さんと連絡がつきやすい。所謂、就業者にとっての定時といわれる時刻らしい。穂乃香の勤める会社は椿家のグループ会社。社長より偉いCEO(最高経営責任者)であるにもかかわらず穂乃香は律儀にそれにならっているらしい。つまりは、分かる事は緊急でない限り私的な電話やメールは一切受け付けないという人なのだ。 《わかったわ。気をつけてかえるのよ~。八時くらいには帰るから子犬の名前でも考えて待っていてね♪》 簡単ではあるが、五時三十分以降だとすぐにメールが帰ってくる。今日も例外なく。 姫依は自然としっぽを振って御主人様を迎える犬のように嬉しくなり、一歩一歩に喜びを確かめ足取り軽く校庭をあとに街灯が既に灯っている校門へ駆けていく。 校門近くで黒塗りのレクサス。運転席で恋乃に良く似た女性が手を振っているのが見え、 「お疲れ様です」 姫依も初等部の頃は毎日、父親の秘書が艶かしいオーラを纏ったマセラティで迎えに来てくれていたのが頭を過ぎった。 「気をつけて帰るのよ。ひよりちゃん」 愛想よくレクサスのお姉さんが手を振ってくれて軽く会釈を返し、 「ありがとうございます。さよなら」 愛想笑いを作って返した。穂乃香と二人で暮らし始めて半年。やはり言葉では両親に理解はしているものの姫依は二人がいない寂しさを感じる事は時々あるのだ。 例えばこんな時。ちょっとした事で。 でも、穂乃香と暮らすようになって、意外と大変な毎日で。 そんな事など忘れるほどの毎日多忙に過ごしているのだが…… 社会の見識でよく出来そうな外見である穂乃香は、家では全くダメな人。 それは、姫依だけが知っている事実。それは姫依だけにしか明かしていない秘密だと思う。 細かい事を言うと、トースターを使えば開けっ放し、電子調理器具しかり、食器洗い機しかり、引き出し一つをとっても見事に何をしたかがわかる状態。もっと言えば洗濯機を開けっ放し。乾燥まで済ませた洗濯物を取出すまでもなく、そこから必要な衣類を出す始末。要するにだらしない。 寂しさを抱えてやってきた穂乃香のマンション。小姑のように穂乃香を叱る日が毎日毎日。 「これでもマシになったんです!」 思わず拳を握り締めて声に出してしまった姫依は、往来でいきなり声を出してしまった事を恥ずかしく思い少し頬を朱に染めペットショップへ急いだ。 ややあって、昨日とかわらない暖色系のシールで犬か猫の足跡を切り取られた可愛く演出されたウインドーのペットショップに着いた。脇には先ほどのレクサスが横付けされていたが気にせずに店に入ると、 「柊様の妹さん? なんで男子学生服なんて着ておられるのですか?」 などと、開口一番言われる。 ポカンと口を開けて驚きの形相を見せる店員に、 「あの、ボク実はオトコノコなんですよ?」 今まで何度となくあった出来事なので『実は』なんて使いおどけながら冷静に返した。 慌てて「わんちゃんはどうですか?」などとお詫びを添えて聞いてくる店員に、『はじめての愛犬シリーズ』を見せ、掲載されているおもちゃがお店にあるか聞いてみた。 「取って来ますのでお待ちくださいませ」 言い終わると店員は逃げるようにその場から去り、その影に隠れていた近くの同じ学校の制服の子に気付いた。 肩を震わせている。 「くっくっくー」 鳩が鳴くように喉を鳴らして笑いを漏らす二つ結いの少女がそこにいたのだ。 「あ……桜さん」 明らかに今の会話を聞いて笑っているのがわかる。その面白そうに目を眇めお腹を抱えている恋乃を睨み、 「ニックネームの風紀委員さんが、帰りに寄り道してもいいんですか!」 唇を尖らせ先刻の上げ足を取ってみた。 「だって、ここ私のお姉ちゃんの店だもん」 残念でした。と舌を出す恋乃はそう続けた。 確かに店の名前は――女の子受けが良さそうな可愛らしいロゴマークにロゴタイプで『ペットショップヴェルベーナ』と英語とイタリア語の組み合わせで書かれている。 愛玩動物屋、美女桜……。訳さなくてもいいのに脳内変換。 可愛い系でいくならアマレーナ(さくらんぼ)の方がいいのでは? なぜ美女桜なのか。これでは恋乃はもちろん桜家の女性は女王様気質で可愛い子を檻に入れ『愛玩』目的で奴隷のように販売しているのか? と鈴を張るような姫依の双眸に微かな衝撃を与えていた。 「またまた。柊くん。こ・う・そ・く・い・は・ん」 恋乃は言葉を区切ってわざと悪戯に言う。 返す言葉を探っていると、店員が捜していたおもちゃを持ってきてくれ、 「柊くんの買ったイタグレちゃんは、酷く臆病な犬だから時間をかけてゆっくり手懐けるのよ~ゆっくりゆっくりね」 恋乃は得意げに、そして、最後の方は自分に言い聞かすように自分の薄い胸に手を添えて助言を言ってくれた。 あまり長居しても恋乃にいじられるだけなので会計をすぐに済ませ穂乃香の家に向かう。 「あ~ほんと悩む! なんて名前がいいかな~」 穂乃香の家。大理石が貼られたマンションのエントランス。最上階のルームナンバーを押しながら小声で囁く。 その声は、ほとんど声に成らずに喉でかき消された事もあり子犬が甘えてなく夜鳴きにも似た声に近かった。 そんな自分が可笑しくて、姫依は笑顔でエレベータに乗った。
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