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小説「アウローラの美瑠と聡明なマセラティ」4

小説「アウローラの美瑠と聡明なマセラティ」4

秋月十紅/著

オレンジに煌めくホテルの一室。

二週間以上滞在しているこの石造りのホテルは、既に自分達の部屋のように寛げる空間へと変わり日本の我が家が遠い過去のようだと千佳を錯覚させる。

それは、今まで以上に可愛く感じるシーツに包まった美瑠とデスクで日本のスタッフからのファックスに目を通す仕事モードで大人の魅力全開の社長を見ていると思うのだ。

人間が生きる時間からするとほんの僅かな時間でも千佳の生きていく上での価値観を替えるには十分な時間だと証明しているようなものだから。

——だから、だからこそ、千佳はかなり蜂蜜色の親子を魅力的に感じている。

これはイタリアに来なければ永久に味わえなかった。もっと言えば惰性で生きていては感じる事の無かった時間なのだ。 

そんな事を考えながら、今夜も変わらずチェンバロギターで眠りを誘いプレリュードとフーガを演奏して妖艶な家族を見ていた。

基礎体温が高くて心地よかった美瑠の肌を思い出し、普段の仕事では見せない顔、まるで千佳と同年代くらいに若々しく弾ける社長の姿を思い出す。

美瑠の眠りを誘発させるように——、

社長がリラックスできるように——、

千佳の流れる手つきは、いつにも況して切れが良く至高の空間を作り出した。

美瑠が腕をシーツの外へ出し頭の横で空気を握っても、音楽の世界に完全に浸ってギターを演奏する黒髪の少女は、眠るように目を瞑り落ち着き払った優しい表情で弦を弾く。

——……ふぅ。

千佳は余韻を残しつつも弦を押さえ演奏を終え深呼吸を一つ。ゆっくり目を開けた。

途端に目の前でジャラっと細い鎖が擦れる音に視界いっぱいにアーモンド型のプレート。

はじめは焦点も合わずに、それがキーホルダーだと気付くのに数秒かかった。

くくっ、あはは。と笑う声は社長の美声。

寄り目になっているのを自覚しながら千佳は、そのキーホルダーに書かれた文字を読取ろうとした。

「MASERATI……マセラティ?」

千佳には珍しく自分の指先を唇に当て、楽しそうに笑う社長を見上げた。

「そうよ。昼間見た新型マセラティじゃないけど三叉の銛には深い歴史があるの。美瑠はこの通りだから、今から小一時間ドライブしましょ」

社長は、完全にオフの顔。見方によっては本当に千佳の二、三歳年上のお姉さんに見えてしまうような幼さない笑顔で、子猫の前で猫じゃらしをちらつかせるようにマセラティのキーをちらつかせた。

千佳は猫パンチをお見舞いするように、それをパシッと掴み頬を膨らませて、

「子供扱いは止してくださいませんか? でも、いいです。私は社長の従業員ですから、お頼みとあればどこえでもお供しますが?」

顎を突出しツーンと言い放った。

しかし、マセラティに乗れるという甘味な誘惑。

昼間見たティレニア海岸を閃光のごとく駆け抜けていった赤いマセラティを想像して、猫が毛を逆立てるように足先から頭の天辺まで震わす。

「うん。千佳には強制的にお供してもらうつもりだから」

 当然のごとく囁くように千佳の耳元で告げ、さらに、

「マセラティって言えば夜。夜のドライブね。想像してみて千佳。伝統あるもの古いものを愛して止まないこのイタリア人の街に、それはあるの。妖精の軌跡のように美しい三叉の支軸に支えられた街灯の下、適度に丸みを帯びた石畳の上に夜景が写り込んだ妖艶なマセラティがオレンジに浮かびあがってるの……ドアをそっと開けてみると僅かにルームランプが灯り、職人が仕立てた柔らかそうな革が飛び込み甘い香りがするの……」

 直接、脳に語りかける柔らかな旋律に、千佳はすぐに顔が弛んだ。

「……行くよね?」

口説いている最中に不安になったようで社長は千佳の顔を覗き込む。

千佳はすでに弛んだ顔を浮かべ目元を微かに色付けて、自然にコクコクと上下に首を振っていた。 

「それとね、お願いついでにもう一つ、仕事意外の時は美咲って読んで欲しいかも」

続ける美咲の言い方はすでにお願いではなく望みに近い。

仕事以外では社長と従業員ではなく歳の離れた友達でいたいと言っている。そう解釈した千佳は困ったように美咲を一瞥しマセラティのキーを見ながら考えた。

千佳にとって歳の離れた存在とは親や親戚しか居ないのだ。

半ば強引な所がある美咲のおかげで、多少遠慮無しに接しても許される今の関係が素直に嬉しい。だから、少し調子に乗って、

「今さっき『強制的にお供してもらう』って言ったでしょ? それもお願いだったんだ〜」

千佳は美瑠の揚げ足をとる時のように、冗談で悪戯に蔑んだ冷笑を浮かべながら言った。

そんな千佳の表情を取りこぼさないように眺める美咲は、嘘偽りない眼で、笑顔も浮かべない真顔で、

「気を悪くしたのなら、ごめんなさい。あまりにも千佳がマセラティに興味を持ってたから、ホテルにレンタカーを用意させちゃったの……だから」

せっかく旅の出費を考えて古いFIAT500をセレクトしたのに、千佳の為に超高級車を用意した旨を明かした。

美咲は押しが強いのか、弱いのか。

普段から、只ひたすらに正直に接してくれる物言いが懐の厚さを探られているようで、千佳こそ負けずに真意を探ろうと美咲を見つめかえす。と、

「……い、行くよね?」

不安に目を細めている顔がそこにある。

上弦の月の双眸、目が合うと濡れた瞳は少し左下を見る。掛け値なしでの素直な癖は美瑠と同じ。

今ので大方察しはついた。マセラティドライブに食い付く事しかカードを用意してなかった美咲もおもしろいが、それよりも。

シャワーを浴びた時か両親に電話しに行ったときかに美瑠が美咲に例の事を話したでだろう事について、美咲なりの意見が聞ける事が嬉しかった。

千佳には、家族のように一喜一憂してくれる親子がくすぐったくて、

io sono determinato vegliare ogni nottr par maserati(私はマセラティの為なら徹夜する覚悟ですよ)夜のドライブに行きたい美咲さんには美少女千佳ちゃんが傍に居なくては絵になりませんから」

またも、調子に乗ってしまう。今のは全力で照れ隠しなのだが……。

Come la fata(妖精のなすままに)」

 美咲は、美麗に整った笑顔でそれを受け止め千佳の手を引くようにマセラティが駐車されているであろうホテル駐車場へ向かった。

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