小説「ヒイラギとツバキの関係」5
「ヒイラギとツバキの関係」4 秋月十紅/著
姫依は自室に入るなり、
「ビアンカってどうかな、イタリアン……だから……」
ふと思い付いた事を独り言を零し、
「うん。ビアンカで話してみよう」
自分に言い聞かすよう頷いてみせた。それから制服を脱ぎはじめた。
姫依の通う私学の中等部は男子も女子も上質なデザインが施された水兵服。
女子供生徒はワインカラーベースの前開きタイプの上着でネクタイをしめる。男性生徒も同色で大きな衿は健在で大きなボタンが並列に並んだWボタン仕様になっている。
イギリス海軍やイギリス海軍幼学校の制服に似たそれは中性的な面持ちをした姫依には恐ろしい程よく似合い小柄で華奢という要素もまた性差の溝を埋めている。
微かな衣擦れを皮切りに上着を脱ぎパンツを降ろすと適当に見繕った穂乃香のブラックスーツに合わせるようにブラック系のセットアップに袖を通した。
「お待たせしました……あ!」
姫依は、部屋に戻るなり驚いた。
ビアンカは綺麗に耳を降りたたみ長い手足を伸ばして頭を下げ穂乃香に気を許している。そんな感じの場面だった。
「じゃあ、行くよ」
驚く姫依を一瞥し穂乃香はそう言い終えると、絡み付くビアンカを軽く押さえゲージへ収め、
「ボクが餌あげた時と酷く違うんだね……ビアンカ」
「名前ビアンカにしたんだ。じゃあね、ビアンカ良い子にしてるのよ」
軽く頷き簡単に名前を承諾しビアンカに挨拶を済ます。
姫依は「ん〜」等と幼児のように喉を震わし下唇を噛み悔しい事を伝え、穂乃香は横目で伺いながら口元を吊り上げた。
ジェットブラックの外装色にサンドストームの内装。英国車であるが左ハンドル。
バンブーのトリムの穂乃香の愛車は、まだ微かに温かく寒がりの姫依には嬉しかった。
『アストンマーチンDB9』椿のお爺様の趣味車を三女の穂乃香が譲り受けたらしい。
姫依は、この車の事をマセラティよりも高額車で美麗なクーペだと認識しているが個人的には穂乃香にはもう少し遊び心があるマセラティグランツーリズモの方が似合っている気がしていた。が、改めて運転する穂乃香の横顔を見ていると『似合ってる』と思ってしまう。
普段、穂乃香は『若輩者がこんな高額車に……』と気にしているが、生活に支障なく乗れている上、クールに運転しかっこ良く乗りこなしている事が車格と対等で、車の方が穂乃香に合している感じまでしてくる。
姫依はそんな穂乃香の横顔を眺め、いつもより大きめなイヤリングに気付く。
昔から車に乗る時は後部座席だった為運転手と並んで乗れるクーペが好きで。つい、
「どうしたの? ハンドルと私の顔を見比べて」
穂乃香さんってボクが居なければ素敵な彼氏を見付けて優雅に日々を過しているのではないかと幸せな一時に対しての少しだけ不安が過った。
「いえ、何でも……アストンが板に付いてるなと思って」
穂乃香の白く細い指先が撓る都度。ハンドルの後ろにあるパドルシフトにあわせて車内にはクリアなエンジン音が微かに響く。
自分でも気付かない内にハンドルと薄い化粧の見た目上品過ぎる横顔を見比べてたらしい。
「そう? 階級社会でもない日本でこんな車転がしてるの本当の好き者だけよ。たぶん」
たぶん。と漏らす声は少し小さかった穂乃香は、本来ならばショーファードリブンカー(運転手による運転)で自宅と会社を行き来していてもおかしくない血筋ではある。
「そうかも知れませんね。日本って昔、一億総中流って方針だったって学校で教えてもらいましたよ。みんなクラウンを目指しメルセデスが憧れだったんだ! って先生言ってましたし。でも運転手付きの車より自分で運転する車を譲るお爺さんって穂乃香さんの性格よく知ってますね」
「……ショーファードリブンカーを選ばずにオーナードリブンカーを譲ってくれたお爺様には『一人立ちするんだぞ』と言われた気がしたわ」
柔らかな表情で静かに語り終えた穂乃香は、瑞々しいピンクの唇を僅かに弛ませた。
その表情、自信に満ちあふれたような美しい横顔は、流れるオレンジに照らす街灯で夜の化粧を纏う。
この人、綺麗だ。
強い人なんだ。
運転席側の窓から覗く夜景をも味方にする穂乃香を姫依は、眩しいものを見るように目を細め、更に、守られているんだ。と、あたたかな感情に浸った。
そんな穂乃香は、姫依を一瞬だけ振り向き姫依に目を合し、
姫依は、負けずに鈴を張る目で見つめ返し『アイコンタクト』を完了させ、
『あの人に付いて行けば。きっと今以上の幸せを味わえるから。だから、大丈夫だよ』
子犬との触れ合いは、まずアイコンタクトから。と先程ビアンカを前に念を込めたのがやはり正解であった事を振り返った。
マセラティの音を女性に喩えるならアストンは男性的。
知らずに高速道路へ入ったDB9は、さらに加速し甲高いエンジン音で耳を飽きさせない。
「今日は何処へ行くんですか?」
空腹気味な姫依は、お腹を押さえながら穂乃香に訪ねた。
「今日は、本格的な薪窯のピッツァリアよ。そこで、ナポリピッツァをいただく予定。なんかそこ、STG(伝統的特産品保証)の認定されたらしいの」
「あっ『マリナーラ』ですね? ボクも行ってみたかったんですよ♪」
先日、恋乃が教えてくれた店で何度か学校でも話題になった店だと思い出した。
現在のピッツァの起源と言われる『マリナーラ』から名を借りたらしいピッツァリアは、伝統的な方法に従って調理するらしく完全予約制の店らしい。
それは、電気やガスなどの燃料を使わず樫やオリーブの木を使った薪窯を使うからと聞いていた。
「お腹減った、よね? 急ぐからもう少し我慢してね」
穂乃香は言い終えると、パドルシフトを操りシフトダウンする。
一段と高いエンジン音が耳を刺激すると同時に『きゅう……』と姫依のお腹が鳴り、
「はい……お腹減りました。急いで下さい」
姫依は、お腹を摩りながら照れて頬を朱に染め下を向いて答えた。
すると、穂乃香にぷにっと頬をつつかれ、
「仰せのままに♪ ひよりちゃん♪」
軽やかな弾む声を最後に、アストンは優美な翼を獲たように追い越し車線をモーゼ状態で突き抜けて行った。
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