小説「アウローラの美瑠と聡明なマセラティ」5
……。 千佳は、以前美咲の仕事で同行した現場でスーパーモデルを初めて見かけた感覚に近い足の爪先から頭の毛先まで通電した状態で言葉を失った。 ホテルの玄関の真正面に駐車された赤いマセラティは昼間みたものよりも四角く小振りだったが、異様なまでの存在感を放っている。それは、玄関先に備わる街灯はすべてマセラティを照らしているような錯覚に陥り、千佳の目を引きつける。 煌めくオレンジの光はマセラティの為に。 数歩づつ近付くにつれ細かなエクステリアの作り込みを魅せる赤いボディ。 そのオレンジ色のスポットを浴びたボディは、少し朱がかる赤い鏡。賓客を虜にさせる艶やかなオーラを纏っている。 美咲は、それに怖じけずに、馴染むように、運転席へ美麗に回り込む。 千佳はそんな美咲を目で追いながら助手席ドアの前に立ち、楚々と佇む曇りない濡れたように輝く赤に触れた。 「……ん?」 一瞬外れそう。と目を向けたアウターハンドルにもトライデントの彫りが入っている。 それを、僅かに込めた力で押し上げると昔のヨーロッパ車らしい金属質な音とともに数センチドアが開き、美咲の囁きにもあった通り、柔かそうな革が目に飛び込んできた。 それは、視認できるもの全てを包んでいるのではないか。と錯覚するくらいに惜し気もなく使われた薄茶色の革とイミテーションではない磨きあげられた本物の木。ハレーションを起こすがごとく眩く視覚を麻痺させ、革から立ち上る甘い香りは程よい高揚感を呷った。 「痛くお気に入りのようで」 千佳の反応に満足したようすの美咲は一気にセルを回さずに、後部座席の後ろにある燃料タンクからエンジンまでガソリンが到達するのを待つように、ジーという機械音を聞く。 ……。 音が止むと負荷がある重い何かを回すような短い低音の次ぎにエンジンに火が入った。 「これなんて車ですか?」 千佳は興奮覚めやらぬと言った感じで胸元に手を寄せ美咲に尋ねた。 「ここに書いてあるんだよ」 言い終える美咲はグローブボックスの上あたりに指す。 「Ghibuli? ギブリ!」 そうよ。と満足気に笑みを見せ軽くアクセルを呷ってみせた。 直ぐにフェラーリやアルファロメオとはまったく違う演出の車だと千佳にも分かり、低く吼え響くサウンドは闘志の塊のように聴こえ走りへの期待感を与える。 「いいですねギブリ。社長のメルセデスGも好きですけど何だかこの車に乗った途端、運転手のポケットに収められた気がします」 柔らかく包み込む革に身体を預け美咲へ感想を伝えた。 そう? と一言。美咲は満足げに唇の端を吊り上げ戯けなく目を線にしてみせる頃にはマセラティは滑らかに動きだした。
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小説「アウローラの美瑠と聡明なマセラティ」5
秋月十紅/著
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