小説 「ヒイラギとツバキの関係」

小説「ヒイラギとツバキの関係」

ヒイラギとツバキの関係         

秋月十紅/著

「穂乃香さん、お風呂先に頂きますね?」

「どうぞ~、あっ姫依……肩まで浸かって百数えるのよ〜」

は~い。と素直に返事をする姫依は、横目で穂乃香と犬の写真がプリントされたダンボールを横目で確認した。

穂乃香は、整った目鼻立ちに薄い肌色。微かに化粧はしているものの、それだけで端麗な容姿を纏い媚びない美しさを持っている。それは素の良さを周知の元に晒けだして全くの無表情でいると近寄りがたいそんな印象を与える。

況して仕事着のパリッとしたジャケットにパンツスタイルで若輩ながら某社の重要ポストに就いていそうな。そんな穂乃香なのだが。

彼女はその風貌のまま、胸の辺りまである長い垂髪を鬱陶しそうに掻き揚げて。男らしく胡座のままで、

「あの……お風呂入る前に、それ手伝いましょうか?」

「いいよ。姫依が上がる頃には組立てておくからね、これはね大人の仕事よ」

リビングに騒然と広げられた犬用ゲージをパーツ別に並べ、組立て説明書を読んでいるかと思ったら、本屋で一時間も悩んで買った『はじめての愛犬シリーズ』を股に挟んで目を落としている。

なるほど……大人の仕事ね。と感心しながら、

「う……うん……がんばって?」

気が早って何から手をつけていいか分からない状態の穂乃香を半眼で見やってから、姫依は部屋着を抱え脱衣所へ向かった。

実は、姫依も気が早っているのだ。いつもより高い心臓の音が自覚を促す。

悪戯な心臓は、キュッと部屋着を握り締める手を震わし吐息を荒くした。

そして、堪え切れずに、

「ボ、ボクが風呂から上がるまで子犬出さないでね!」

人差し指を立て宣言するように言切ってから駆け足でバスルームへ。

かけ湯もそこそこに猫足のバスタブへ飛び込んだ。

「こんな日が来るなんて——」

姫依は柊家の一人息子として大事に育てられていた。が、世界の相次ぐ金融危機の中、外資依存度が高かった柊家はあおりを受け大打撃を受けたのが今から半年前。

そんな中、由緒ある名門柊家を立て直す為世界各所を奔走する事になった両親が、交友関係が深かった椿家に初等部を卒業したての姫依の事を相談したのが始まりだった。

相談を受けた椿家当主は、地元を遠く離れた地で一人暮らしをしている椿家三女の穂乃香に預かってもらう話を進めて現在に至っている。

自分の身の上に降り掛かっている事。

中等部に入学して一週間でいきなり転校しなければならなかった事。

地元から遠く離れた地。キャリーバッグ一つで見知らぬ地に降りた時から知っていた。

初めて見る人の濁流の中、知った顔すら迎えの者も居ない。人込みに弾き出された姫依は孤独に苛まれ、ただ呆然と携帯のGPS。地図画面を、知らない地図に現在地が指し示された画面を茫然と見るだけしか出来なかったのだ。

額に玉の汗を浮かべ前髪を貼付ける姫依など察する者もそんな心優しい人も居ない。居るのは場慣れしない姫依を邪険にする者や冷ややかな目で見る者だけだった。そんな喧騒に毒づくように自分の置かれている立場を肯定した。それがこの地での最初の出来事。洗礼だった。

「ひいらぎ……ひより君?」

姫依は、深淵に臨み薄氷で足を捕られる。酷い雑音が脳内をブラックアウトへ導くそんな時。耳の近くで囁かれる甘味で明らかに温かさが含まれた響きが鼓膜に届いた。

「柊姫依君でしょ? 迎えに来るのが遅くなってごめんね」

咄嗟に左手で屋敷から持ち出した大切な品が詰まったキャリーバッグを握りしめ、右手はボタン一つで両親に唯一繋がる大切な電話。それらを必死で失わないように力一杯握りしめ警戒しながらゆっくりと声の主に顔を向けると、

「は、はい。つ……つばき、ほのかさんですか?」

「そうですよ。ようこそ我が街へ、よろしくね姫依君♪」

目線を合わせ屈んでいる穂乃香の眩しく慈愛に満ちた笑顔が飛び込んできた。

疎外されるように地元を離れた姫依にとっては自我の限界に達しかけていた事もあり人目も気にせずそのまま柔らかく温かそうな自分を誰だか知っている穂乃香の胸に飛びついたのだった――……。

湯舟に映る白く霞む姫依は、目を線にして口の両端を吊り上げ笑顔という言葉では納まりきらない表情を見せている。あの日を思い出すとこんな嬉しさを味わえる日が来るなんて想像できなかったからだ。

「――こんなボクが犬を飼えるなんて」

小声でバスルームに独り言を響かせてから、穂乃香に言われたように百を数えることにした。

律儀に声に出して。

今日は、特別に気分が良い。ただ、それだけだったのだが。

カチァ……

ノックと共に僅かに開かれるドアの隙間から、

「姫依……なんか呼んだ?」

「よっ、呼んでません。呼んでませんってば! ちょっ! ちょっと! バスタブの底の方見てニヤケないでください!」

穂乃香が桃色の唇に手を添えて上品に顔を綻ばせている。そんな彼女は続けて、

「本当に男の子なのかなぁ? って思って――」

上品な笑顔の影から何かの欲がはみ出た小悪魔のように薄く笑って、ドアを締めていった。

気にしている事を遠慮無しに言ってのけたその影を睨みつけながら姫依は仁王立ちになり、

「つ……ついてますよちゃんと! そんなの見ちゃいけません! 想像しちゃいけません!」

湯舟に映る姫依を激しく揺らしながら抗議した。

水面にはあまりにも成長を見せない華奢でなだらかな身体に細い手足。痩せている訳ではなく酷い幼児体型。マシュマロの肌が映し出されていた。

そのことを初等部の保険医に相談した事もあった。「特に気にしないでいいよ。今は本当に女の子みたいだけど身体は少しずつ大人になっていくから。先生もそんな時あったのよ」と。保険医の言葉に支えられて姫依は凌いできたのだ。 

姫依はそんな事を考えながらもう一度肩まで浸かって、今度は声が漏れないように水面に口を付けブクブクと気泡を作りながら百まで数え終わると、

「子犬。なんて名前にしようかな♪」

そっとドアを開け穂乃香が居ないのを確認してから白く柔らかなバスタオルに包まり初めて飼う犬に思いを馳せる。

ペットショップで初めて見たあの瞬間。

小さくて華奢な肢体を必死に奮い起こすあの姿を見た時から自分に重ねていたのかも知れない。つまりは一目惚れで。

椿家にお世話になる身でありながらこんな我侭が許されるのかと不安が過ぎったが思い切って言って良かった。と、子犬との出会いを振り返った。

その子犬は、イタリアングレーハウンド。

臆病者だけど、一度懐くと強い信頼関係を築く。そんな犬なのだ。

姫依は、少し濡れた足でリビングに飛び出しタオルを頭に巻き自然乾燥を待つほっこりとした姿を穂乃香に見せつけた。すると彼女は満足気に見つめ返し顎を突出し豊満な胸を偉そうにふん反りかえらせて、

「凄いでしょ? 褒めてくれたら『はじめての愛犬シリーズ』を読ませてあげてもいいわ」

 凄く散らかった部屋の中央に椿家のお嬢様らしく気品と愛嬌を漂わせ、見事に組み上がった犬用ゲージとおトイレセットを自慢げに披露した。

姫依は、こんな穂乃香でもこの数ヶ月の付き合いでそれなりに強い信頼を寄せている。

時に大人らしく、時に子供のようで。素直な彼女に厚い信頼を寄せているのだ。

だから姫依は、「ワン!」と一言答え、踏ん反り返る穂乃香の胸に我侭を零す。

「大好きです。穂乃香さん! この犬もボクも大切にしてくださいね」

 更に、機嫌を良くした穂乃香は、

「お褒めの言葉はないんだ? じゃあ、新幹線の自動改札の前で立ち尽くして世間知らずな痴態を晒していた事誰かにいっちゃおうかなぁ~」

 穂乃香は、悪戯に目を眇めながら姫依の腰に手を回して言い、

 姫依もまた穂乃香に手を回して、

「さすがです穂乃香さん! 姫依も子犬も幸せ者です!」

 犬が尾を振るように姫依の髪は中に舞い、頬を擦り付けて喜びを表現したのだった。

*

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小説「ヒイラギとツバキの関係」2

  ヒイラギとツバキの関係         
  秋月十紅/著

 昨晩の『お迎え』から一日空けて、今はもう授業が終わり静まり返った教室。

校門が閉まる最終下校時間が迫っていた。

姫依は校庭を見下ろせる窓際。自分の席で橙と藍色のグラデーションを頬杖ついて眺めながら誰も居ない教室で油断していた。

机の上には『はじめての愛犬シリーズ1』。明らかに校則違反の品を開けて。

早く帰っても同居している穂乃香が帰ってくる訳でもなく、子犬との触れ合いを楽しみたいにしても自分一人では心細い。早く子犬と馴れ合う為にも……と思い本を読みながら時間を潰していたのだ。

「柊くん? 帰らないの?」

姫依だけしか居ない橙に染まる教室の入口。ドアに片手を預け何かに魅入られている者をじっと見据えて薄く微笑み浮かべ幼いながらも凛とした声音を発する少女が立っていた。

彼女は、丁寧に折り畳まれた弓道着を入口近くの机の上に置き姫依に近付く。

しかし、

姫依は、昨日穂乃香が放さなかった『はじめての愛犬シリーズ1』を。今晩もまた本を片手に子犬と睨めっこするのだろう。と思慮に耽りながら、つい先程まで熱心に読んでいた本をそのままに、太陽が山の向こう側へ隠れていく瞬間。橙色に輝く光に見惚れて徐々に部分日食のように欠け、以外と速い太陽の動きに目を奪われていた。

「柊くん? それ、校則違反だよね?」 

「あ……桜さん」

桜恋乃。見目が良くて明朗快活の性格でクラスの人気者の彼女。時々、部活動帰りに教室に寄り学校では比較的寡黙な方の姫依を気に駆けて話し掛けてくれる女の子。

そんな彼女に気付いた時には、目を細め後ろ手で姫依の机の上にある本に目を落しながら近寄ってくる所だった。咄嗟に本に覆いかぶさる姫依を楽しむかのような笑みを浮かべ恋乃は「あら~」などと言いながら歩く速度を速め姫依の席の前へ立つ。

「教室の電気が点いているから来てみれば!」

 この時間珍しく顔を覗かせるクラスメイトは机に伏せる姫依を見下ろす。

「お犬様の躾け本ではないですか!」

物音一つしない教室にふざけたように咎める声音を響かせた。そして、嬉しそうな笑みを浮かべ、得意げに鼻を鳴らし腕組みをしてみせた。

勝ち気に振舞う恋乃を見上げたまま「ううぅ」と唸りをあげ油断していた事を後悔した。

誰も来ない閑散とした教室。

僅かな人しか残らない校舎。

つまりは、いつもなら足音や気配でわかる。しかし。

 姫依は見つかってはいけない人に見つかってしまったのだ。

罪を犯した者を楽しむ好奇な眼差しを残して腕組みをやめた恋乃は姫依の前の席に腰掛け、 

「不覚をとったね柊くん♪ 私なにを隠そう、風紀委員なんだよ? それにしても今日の夕焼け、すっごい綺麗だったものね」

夕日で煌めく自分の二つ結いされた髪を掬いとるように触りながら伏せたままの小柄なクラスメイトに顔を寄せてきた。上目で恋乃を伺う姫依の目には驚く程整った顔と良く手入れされた煌めく髪の毛で視界いっぱいになる。さらに長い睫毛をパチパチさせて姫依の言葉を待つ間が余計緊張を高めた。

姫依は固唾を飲み込み、今晩の楽しみの教本でもあるこの本をここで取り上げられないように見逃してくれる事を必死で祈りながら頷く事しか出来なかった。

「……先生に言ったりしないから、さっさとカバンにその本詰め込んだら? もうすぐ先生が見回りにくる時間だよ?」

 見兼ねるように溜息をついた風紀委員は姫依の鼻先ギリギリまで絶妙に整った顔を近付け、諭すような響きを持った声だったが罪を咎める勧告ではなく忠告をしてくれた。

超至近距離の恋乃からは微かに彼女らしい良い香りがした。部活動を終え着替えた時に香水をつけたのだろう。柑橘系で甘い。子供っぽ過ぎず大人っぽくも過ぎない、そんな恋乃の為に調香したような香りがしたのだ。

……いい香り。

姫依は顔に血が登ったのを誤魔化すように時計を確認すると、確かに最終下校時刻である午後五時三十分に近付こうとしている。

「あ、ありがとうございます。桜さん。ボクそろそろ帰りますので……」

 見逃してくれる事に感謝した姫依は、良い香りがする恋乃へペコッと頭を下げて、カバンに本を丁寧に入れはじめた。

「ねぇ……柊くん、途中まで一緒に帰らない?」

 姫依の手つき、細い指先を注視している恋乃はそんな事を言ってきた。

 確か恋乃は、自家用車で送り迎えをしてもらっているはず……そんなのに甘えられる程仲良くしている訳ではない。

「今回はご遠慮させて頂きます。又、誘ってください。寄りたい所もありますし」

 しかも、家族の間の仲睦まじい会話を聞くなど寂しくなるだけなのだ。

「じゃ、また明日ね。次誘うとき絶対に拒否しないでね。でないと今日の事先生に告げ口するかもあっでも風紀委員なんてニックネームみたいなものだから気にしなくてもいいけど!」

「あはは……わかりました。ではお先です」

結局元気一杯に風紀委員の仕事を放棄する発言をしたクラスメイトに姫依は満面の笑顔でお別れの挨拶を済ませた。見逃してくれてありがとう。と。

その時には橙から藍色に。藍色の範囲が増え始めた空。

二人しか居ない教室ももれなく藍色に染まりが訪れ静謐が戻り蛍光灯の光りがしっかりと影を作り出す。

恋乃は一瞬頬を膨らませて見せたが姫依と同じように手を振り笑顔を返してくれた。

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小説「ヒイラギとツバキの関係」3

ヒイラギとツバキの関係 3

秋月十紅/著

「危なかったです」

独り事を誰も居ない下駄箱に響かせていると、最終下校時刻を知らせる鐘の音が鳴った。

 姫依は、この時間まで学校に残っている事が多い。

 早く帰宅しても迎えてくれる家族が居ないからだ。

《お疲れ様です。穂乃香さん! 帰りに子犬のおもちゃを一つだけ買って帰りたいので六時三十分頃帰宅します》 

 五時三十分以降は穂乃香さんと連絡がつきやすい。所謂、就業者にとっての定時といわれる時刻らしい。穂乃香の勤める会社は椿家のグループ会社。社長より偉いCEO(最高経営責任者)であるにもかかわらず穂乃香は律儀にそれにならっているらしい。つまりは、分かる事は緊急でない限り私的な電話やメールは一切受け付けないという人なのだ。

《わかったわ。気をつけてかえるのよ~。八時くらいには帰るから子犬の名前でも考えて待っていてね♪》

 簡単ではあるが、五時三十分以降だとすぐにメールが帰ってくる。今日も例外なく。

 姫依は自然としっぽを振って御主人様を迎える犬のように嬉しくなり、一歩一歩に喜びを確かめ足取り軽く校庭をあとに街灯が既に灯っている校門へ駆けていく。 

 校門近くで黒塗りのレクサス。運転席で恋乃に良く似た女性が手を振っているのが見え、

「お疲れ様です」

 姫依も初等部の頃は毎日、父親の秘書が艶かしいオーラを纏ったマセラティで迎えに来てくれていたのが頭を過ぎった。

「気をつけて帰るのよ。ひよりちゃん」

 愛想よくレクサスのお姉さんが手を振ってくれて軽く会釈を返し、

「ありがとうございます。さよなら」

愛想笑いを作って返した。穂乃香と二人で暮らし始めて半年。やはり言葉では両親に理解はしているものの姫依は二人がいない寂しさを感じる事は時々あるのだ。

例えばこんな時。ちょっとした事で。

でも、穂乃香と暮らすようになって、意外と大変な毎日で。

そんな事など忘れるほどの毎日多忙に過ごしているのだが……

 社会の見識でよく出来そうな外見である穂乃香は、家では全くダメな人。

 それは、姫依だけが知っている事実。それは姫依だけにしか明かしていない秘密だと思う。

細かい事を言うと、トースターを使えば開けっ放し、電子調理器具しかり、食器洗い機しかり、引き出し一つをとっても見事に何をしたかがわかる状態。もっと言えば洗濯機を開けっ放し。乾燥まで済ませた洗濯物を取出すまでもなく、そこから必要な衣類を出す始末。要するにだらしない。

寂しさを抱えてやってきた穂乃香のマンション。小姑のように穂乃香を叱る日が毎日毎日。 

「これでもマシになったんです!」

 思わず拳を握り締めて声に出してしまった姫依は、往来でいきなり声を出してしまった事を恥ずかしく思い少し頬を朱に染めペットショップへ急いだ。

ややあって、昨日とかわらない暖色系のシールで犬か猫の足跡を切り取られた可愛く演出されたウインドーのペットショップに着いた。脇には先ほどのレクサスが横付けされていたが気にせずに店に入ると、

「柊様の妹さん? なんで男子学生服なんて着ておられるのですか?」

などと、開口一番言われる。

ポカンと口を開けて驚きの形相を見せる店員に、

「あの、ボク実はオトコノコなんですよ?」

 今まで何度となくあった出来事なので『実は』なんて使いおどけながら冷静に返した。

 慌てて「わんちゃんはどうですか?」などとお詫びを添えて聞いてくる店員に、『はじめての愛犬シリーズ』を見せ、掲載されているおもちゃがお店にあるか聞いてみた。

「取って来ますのでお待ちくださいませ」

言い終わると店員は逃げるようにその場から去り、その影に隠れていた近くの同じ学校の制服の子に気付いた。

肩を震わせている。

「くっくっくー」

 鳩が鳴くように喉を鳴らして笑いを漏らす二つ結いの少女がそこにいたのだ。

「あ……桜さん」

 明らかに今の会話を聞いて笑っているのがわかる。その面白そうに目を眇めお腹を抱えている恋乃を睨み、

「ニックネームの風紀委員さんが、帰りに寄り道してもいいんですか!」

 唇を尖らせ先刻の上げ足を取ってみた。

「だって、ここ私のお姉ちゃんの店だもん」

 残念でした。と舌を出す恋乃はそう続けた。

確かに店の名前は――女の子受けが良さそうな可愛らしいロゴマークにロゴタイプで『ペットショップヴェルベーナ』と英語とイタリア語の組み合わせで書かれている。

愛玩動物屋、美女桜……。訳さなくてもいいのに脳内変換。

可愛い系でいくならアマレーナ(さくらんぼ)の方がいいのでは? なぜ美女桜なのか。これでは恋乃はもちろん桜家の女性は女王様気質で可愛い子を檻に入れ『愛玩』目的で奴隷のように販売しているのか? と鈴を張るような姫依の双眸に微かな衝撃を与えていた。 

「またまた。柊くん。こ・う・そ・く・い・は・ん」

 恋乃は言葉を区切ってわざと悪戯に言う。

 返す言葉を探っていると、店員が捜していたおもちゃを持ってきてくれ、

「柊くんの買ったイタグレちゃんは、酷く臆病な犬だから時間をかけてゆっくり手懐けるのよ~ゆっくりゆっくりね」

恋乃は得意げに、そして、最後の方は自分に言い聞かすように自分の薄い胸に手を添えて助言を言ってくれた。

あまり長居しても恋乃にいじられるだけなので会計をすぐに済ませ穂乃香の家に向かう。

「あ~ほんと悩む! なんて名前がいいかな~」 

穂乃香の家。大理石が貼られたマンションのエントランス。最上階のルームナンバーを押しながら小声で囁く。

 その声は、ほとんど声に成らずに喉でかき消された事もあり子犬が甘えてなく夜鳴きにも似た声に近かった。

 そんな自分が可笑しくて、姫依は笑顔でエレベータに乗った。

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小説「ヒイラギとツバキの関係」4

「ヒイラギとツバキの関係」4 

秋月十紅/著

上品な鐘の音と共にエレベータの扉が開くと、

最上階フロアは穂乃香の家。このマンションの玄関エントランスホールにも劣っていない絢爛で優美な造りになっている。

そのまま大理石の床を数歩進むと重厚な玄関ドア。アールデコ『調』とは言わせない本物の様式で腕の良い職人によって鋳造された装飾があり、姫依は馴れた手透きでセキュリティを解除した。

「ただいま〜……お腹減りました」

ゆっくり開け誰かに耳元で囁く程度の声音を発し、一瞬立ち止まり返ってくる事のない声を聞こうとしたが、返ってきたのは自分の『きゅう……』と空腹を知らせるお腹の抗議の声だけだった。

……そうだ、子犬に餌をあげよう。

姫依は、鞄を玄関ホールへ置いて制服が汚れないように穂乃香のひらひらとレースがついたエプロンを借りて、犬用品が燦爛したままのリビングへ。

「待っててね。今からディナーの準備するから」

子犬へ簡単に挨拶をして食事の用意を開始した――。

恋乃に見つかるまで穴のあく程読んだ『はじめての……餌の与え方』ページはすぐに開き、朝からキッチンの脇に置いたままになっていたドッグフードを適量掴みお湯で浸す。

……。

待っている間。イタリアングレーハウンドらしい細くスマートな身体に幼いがシャープな顔つきでくりくりとした双眸と対峙していた。

お迎えをして数日は構わない方が良い等と本には書いてあったが守れるはずものなく昨夜は震える子犬の身体を撫で回し、一挙手一挙動に感銘の溜息をつきお互い半目で睡魔と戦う頃まで夜更かしをしたのだ。

「イタグレちゃん、何て名前がいい?」

頭を低くし何かを伺う子犬はドッグフードの入れ物と姫依とを見比べ「くぅん」と鳴き、愛らしくひらひらレースのエプロン姿の姫依に飛びかかりたそうで飛びかかれないそんな中途半端な仕種を見せていた。それは、スラリと伸びた手足をしなやかに動かし長身女性を思わすスリムでスレンダーなブルー&ホワイトのボディーラインに小さな顔。薄い唇をキュッと引き締めてのウエイトポーズ。湿った黒い鼻をヒクヒクさせ木目細かな毛並みで姫依を見上げる姿は優雅で気品を纏っている。

『可愛い』と『優雅』さを分かりやすく兼ね持つ子犬はもう一度ドッグフードの入れ物と姫依とを見比べてから舌舐めずりをしピンクの舌を覗かせた。

 これこそ本当の一挙手一投足と言うのだと宣言したようにお座りをして姫依に目配せを送り続ける、先刻から終止弛みっぱなしの姫依は同じ子犬と同じお座りポーズでそれを見守りドッグフードがふやけるのを固唾を飲んで待っている。まさしくどちらが犬なのかという状態で。

 フードが二倍くらいの膨らみを見せる頃合で食欲を駆り立てる香りを子犬の鼻先へ置くと、

はふはふ。くちゅくちゃ。

必死に餌にがっつく子犬は自分の頭くらい盛られたご馳走を一気に平らげると三ツ星シェフが誇るジェノバのペーストが皿に残っているかのように可愛い舌でスカルペッタを行う。

「あまりお行儀よくないですね〜」

可愛く平らげる姿に姫依は完璧に堕ちて完全に締まりのない口元のまま注意した。

そんな事何処吹く風か。

無くなっちゃったけど……もう無いの?

そんな吹き出しが付きそうな顔で姫依を凝視していた。

姫依は一昨日までの寂しさからは開放されている。

柊家の実家では人が絶えず恭しく就いてくれる者もあったので一人で自室に居ても孤独だとは感じた事がない『幸せ』を日常だと感じていた——。

そんな事が今は懐かしくて、

それとは違う『幸せ』もあるのだと穂乃香と知り合い愛玩犬を飼う事で噛み締める事が出来ている。

穂乃香は、姫依が勝手知らない地でもちろん知人も居ない学校に転校してきた事でかなり気を使ってくれたのだ。多忙な毎日。CEOとしての業務の合間に連絡をくれたり、通学に慣れない彼の為に送り迎えをしてくれたり、中等部の学生として適当なお小遣いまで工面してくれている。今ではそのおかげもあり、姫依は学業に専念できる環境を手に入れ、僅かではあるが親友と呼べる学友にも恵まれたのだ。

「君もボクも、穂乃香さんの所に来て幸せ者だよ」

姫依は、目を細め慈愛に満ちた笑顔を子犬へと送った。

あの人に付いて行けば。きっと今以上の幸せを味わえるから。だから、大丈夫だよ。

子犬との触れ合いは、まずアイコンタクトから。

姫依の濡れた瞳はキラキラと星型に変わりそうな勢いで黒めだけの子犬と睨み合いテレパシーを送った。

そんな時。

穂乃香が行儀悪く玄関を勢い良く空け、ただいま、姫依〜などと甘えた声で駆け寄って、

「くっ! わたしのひらひらエプロン……めっちゃ似合ってるし……」

 お気に入りのダークスーツでパンツスタイル。ブラウスのボタンを三つ外し着崩して、一見近寄りにくい美貌をカチコチと硬化させている。

姫依は未だに子犬と同じお座りポーズ。それは少女に見間違う容貌で華奢な肢体にヒラヒラエプロン姿、三つ指立てて上目遣い。穂乃香には、映像演出が付くならば瞳は星形。サウンドエフェクトがあればキラキラと安直に演出され見えているのだろう。

次第に電気ストーブがじんわりとオレンジに灯るように穂乃香は頬を朱に染めた。

「……は、端ないですよ? む……胸元。空き過ぎです」

 姫依はブラウスの切れ目から覗くバストのなだらかに盛り上がりはじめる所の事を注意し、穂乃香に指を差して注意する事が出来ない為、自分のエプロンの胸元を少し摘み自分の胸元を指差した。 

「わ、わかった。お姉さんが悪かったから、その紛らわしい女性用のエプロンを取ってちょうだい。お願いだから」

釈然としない姫依は唇を尖らせ、わかったよ。と小さく呟き、

「大体、穂乃香さん。超が付くぐらい美人さんなんだから色々気を付けてもらわないといけません。中身は、おっさんだけど……」

後の方は蚊の鳴くような声でエプロンを脱ぎながら毒づく。

まだ少し顔が赤い穂乃香は、そんな姫依を眺めながら、

「聞こえてるんですけどぉ〜」

良く手入れされた長い垂髪を鬱陶しそうにかきあげ、我が家の愛玩犬の前で胡座をかきスレンダーなブルー&ホワイトのボディーを撫で回しはじめた。

「私が満足いくまで撫で回したらご飯食べに行くわよ。楽な洋服へ着替えてきなさい」

子犬の愛らしさに負けてか薄く笑いながらの命令口調。

は〜い。と目を瞑りながら返事を返してからエプロンを元にあった場所に戻し穂乃香の自室の隣にある姫依の部屋へ向かった。

*

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小説「ヒイラギとツバキの関係」5

「ヒイラギとツバキの関係」4 

秋月十紅/著

 姫依は自室に入るなり、

「ビアンカってどうかな、イタリアン……だから……」

ふと思い付いた事を独り言を零し、

「うん。ビアンカで話してみよう」

 自分に言い聞かすよう頷いてみせた。それから制服を脱ぎはじめた。

姫依の通う私学の中等部は男子も女子も上質なデザインが施された水兵服。

 女子供生徒はワインカラーベースの前開きタイプの上着でネクタイをしめる。男性生徒も同色で大きな衿は健在で大きなボタンが並列に並んだWボタン仕様になっている。

イギリス海軍やイギリス海軍幼学校の制服に似たそれは中性的な面持ちをした姫依には恐ろしい程よく似合い小柄で華奢という要素もまた性差の溝を埋めている。

微かな衣擦れを皮切りに上着を脱ぎパンツを降ろすと適当に見繕った穂乃香のブラックスーツに合わせるようにブラック系のセットアップに袖を通した。

「お待たせしました……あ!」

姫依は、部屋に戻るなり驚いた。

ビアンカは綺麗に耳を降りたたみ長い手足を伸ばして頭を下げ穂乃香に気を許している。そんな感じの場面だった。

「じゃあ、行くよ」

 驚く姫依を一瞥し穂乃香はそう言い終えると、絡み付くビアンカを軽く押さえゲージへ収め、

「ボクが餌あげた時と酷く違うんだね……ビアンカ」

「名前ビアンカにしたんだ。じゃあね、ビアンカ良い子にしてるのよ」

軽く頷き簡単に名前を承諾しビアンカに挨拶を済ます。

姫依は「ん〜」等と幼児のように喉を震わし下唇を噛み悔しい事を伝え、穂乃香は横目で伺いながら口元を吊り上げた。

ジェットブラックの外装色にサンドストームの内装。英国車であるが左ハンドル。

バンブーのトリムの穂乃香の愛車は、まだ微かに温かく寒がりの姫依には嬉しかった。

『アストンマーチンDB9』椿のお爺様の趣味車を三女の穂乃香が譲り受けたらしい。

姫依は、この車の事をマセラティよりも高額車で美麗なクーペだと認識しているが個人的には穂乃香にはもう少し遊び心があるマセラティグランツーリズモの方が似合っている気がしていた。が、改めて運転する穂乃香の横顔を見ていると『似合ってる』と思ってしまう。

普段、穂乃香は『若輩者がこんな高額車に……』と気にしているが、生活に支障なく乗れている上、クールに運転しかっこ良く乗りこなしている事が車格と対等で、車の方が穂乃香に合している感じまでしてくる。

姫依はそんな穂乃香の横顔を眺め、いつもより大きめなイヤリングに気付く。

昔から車に乗る時は後部座席だった為運転手と並んで乗れるクーペが好きで。つい、

「どうしたの? ハンドルと私の顔を見比べて」

 穂乃香さんってボクが居なければ素敵な彼氏を見付けて優雅に日々を過しているのではないかと幸せな一時に対しての少しだけ不安が過った。

「いえ、何でも……アストンが板に付いてるなと思って」

穂乃香の白く細い指先が撓る都度。ハンドルの後ろにあるパドルシフトにあわせて車内にはクリアなエンジン音が微かに響く。

自分でも気付かない内にハンドルと薄い化粧の見た目上品過ぎる横顔を見比べてたらしい。

「そう? 階級社会でもない日本でこんな車転がしてるの本当の好き者だけよ。たぶん」

たぶん。と漏らす声は少し小さかった穂乃香は、本来ならばショーファードリブンカー(運転手による運転)で自宅と会社を行き来していてもおかしくない血筋ではある。

「そうかも知れませんね。日本って昔、一億総中流って方針だったって学校で教えてもらいましたよ。みんなクラウンを目指しメルセデスが憧れだったんだ! って先生言ってましたし。でも運転手付きの車より自分で運転する車を譲るお爺さんって穂乃香さんの性格よく知ってますね」

「……ショーファードリブンカーを選ばずにオーナードリブンカーを譲ってくれたお爺様には『一人立ちするんだぞ』と言われた気がしたわ」

柔らかな表情で静かに語り終えた穂乃香は、瑞々しいピンクの唇を僅かに弛ませた。

その表情、自信に満ちあふれたような美しい横顔は、流れるオレンジに照らす街灯で夜の化粧を纏う。

この人、綺麗だ。

強い人なんだ。

運転席側の窓から覗く夜景も味方にする穂乃香を姫依は、眩しいものを見るように目を細め、更に、守られているんだ。と、あたたかな感情に浸った。

そんな穂乃香は、姫依を一瞬だけ振り向き姫依に目を合し、

姫依は、負けずに鈴を張る目で見つめ返し『アイコンタクト』を完了させ、

『あの人に付いて行けば。きっと今以上の幸せを味わえるから。だから、大丈夫だよ』

子犬との触れ合いは、まずアイコンタクトから。と先程ビアンカを前に念を込めたのがやはり正解であった事を振り返った。

マセラティの音を女性に喩えるならアストンは男性的。

知らずに高速道路へ入ったDB9は、さらに加速し甲高いエンジン音で耳を飽きさせない。

「今日は何処へ行くんですか?」

空腹気味な姫依は、お腹を押さえながら穂乃香に訪ねた。

「今日は、本格的な薪窯のピッツァリアよ。そこで、ナポリピッツァをいただく予定。なんかそこ、STG(伝統的特産品保証)の認定されたらしいの」

「あっ『マリナーラ』ですね? ボクも行ってみたかったんですよ♪」

先日、恋乃が教えてくれた店で何度か学校でも話題になった店だと思い出した。

現在のピッツァの起源と言われる『マリナーラ』から名を借りたらしいピッツァリアは、伝統的な方法に従って調理するらしく完全予約制の店らしい。

それは、電気やガスなどの燃料を使わず樫やオリーブの木を使った薪窯を使うからと聞いていた。

「お腹減った、よね? 急ぐからもう少し我慢してね」

穂乃香は言い終えると、パドルシフトを操りシフトダウンする。

一段と高いエンジン音が耳を刺激すると同時に『きゅう……』と姫依のお腹が鳴り、

「はい……お腹減りました。急いで下さい」

 姫依は、お腹を摩りながら照れて頬を朱に染め下を向いて答えた。

すると、穂乃香にぷにっと頬をつつかれ、

「仰せのままに♪ ひよりちゃん♪」

軽やかな弾む声を最後に、アストンは優美な翼を獲たように追い越し車線をモーゼ状態で突き抜けて行った。

*

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小説「ヒイラギとツバキの関係」6

ヒイラギとツバキの関係 6  著/秋月十紅

  *

 

 帰宅後、姫依はさっそくビアンカの部屋へ向かった。

「くぅ〜」

穂乃香の雄叫びがリビングから漏れてくる。素で媚びない美しさを持っている彼女からは想像出来ない、駅のホームにある立ち食いうどん屋でおっさん達が一日の労を労りあう挨拶のような雄叫び。きっと缶ビールを呷り男みたいに被りを払う仕種付きだろう。

晩ご飯は、アルコール類無しで本場の美味しいナポリピザを堪能したものだから禁断症状が出たのかも知れない。帰路の車中「ビール飲みたい。あぁ……車、乗ってくるんじゃなかったわ」と何度も繰り替えし言っていた。

「ひよりちゃんも、飲めたらいいのにね〜」

さっきまでソファの上で胡座をかいて缶ビールをあおっていたと思ったら、姫依の横に立ち年始にしか逢わない親戚の叔父さんのように恨めしそうに言い放った。

そして、もう一度缶ビールをあおって満足そうに瞳を濡らしながら微笑みを向けてくる。

「二十歳まで待ってくださいね? それと、アルコール弱い方なんだから飲みすぎに注意してください」

 姫依は、一本指を立てて既に顔がほのかに赤い穂乃香のピンクのルージュへ近付ける。

「大丈夫〜もうお家の外でないもん——」

恐ろしい程に美人の顔付きで、酔っぱらいになりかけている自覚のない叔父さん穂乃香は、着崩れたパンツスーツが異様に似合い、男らしく姫依の細い肩に手を回す。

パリッとしたダーク色のジャケットの前ボタンは開かれ、光沢のある細いネクタイは、ゆるゆる。大きな衿付きのブラウスは、大きくV字に開かれている。

穂乃香との身長差で姫依の目線の高さに、生肌。それは柔らかくしっとりしたキナリ色の上質な絹。健康的に盛り上がりを見せる薄い肌色からは甘い香水の香りが、微かな残り香として姫依の鼻腔を刺激する。

実は、姫依はそんな風貌に弱いのだ。

穂乃香の女性的に主張する胸の谷間に、弱いのではない。いや……それはそれで思春期の姫依にしては目のやり場に困って体温が上昇する……が、誰の趣向を引き継いだのかキュン死してしまう位に、その意表をつく弛んだ表情と着衣のバランス。

それに、アルコールが入れば出て来る姫依の前でしか出さないと思う女性にしては少し低く落ち着いた声が好き。正直、くらくらする。

「——口煩い役員達にも逢わないもん」

穂乃香の甘えるような声は耳元で。姫依は、結構な至近距離で潤んだ瞳を見上げた。

水分たっぷりに濡れた穂乃香の双眸には、少し朱がかった自分の顔が映っている。

頬紅を薄く塗った相変わらずの女振りが良くみえてしまう姫依が一本指を立てて穂乃香に注意しているポーズのまま、その自分を見ながら、

「リ、……リビングで座っててください。ビアンカと少し遊んだ後でちゃんと伺いますから」

どっくん。どっくん。言いながら自分の小さな胸を打つ心臓の音を聞き、くらくらする意識の中から我に返るまで一瞬フリーズしてから穂乃香をリビングへ追いやった。

し、しっかりしなきゃ。か、かーさまの趣味? それとも、と、とーさまの趣味?

心でも噛みながら、男らしく美しい女性のアンバランスな容姿で甘言を言う穂乃香の残像に対して、姫依の男の子ゾーンを刺激するオーラから目を背け小さく気合いを入れて、イタリアングレーハウンドの子犬、ビアンカと面と向かう。

「姫依にはピーチネクター用意しておくからね〜一日働いた愚痴でも聞きなさい」と、扉越しに穂乃香の声が漏れてきて、それに軽く返事を返した。

穂乃香は、姫依と同居しはじめたその日でさえピーチネクターを握らし自分を曝け出すように、今日出逢った仕事先の人の話しやプライベートの事まで話し出した。

その時、姫依は今のビアンカのように大人しく座って必死に穂乃香の目を見たものだ。

そして、穂乃香は、緊張する姫依に気遣いながらも昔からの知り合いのように、遠慮なく一方的に話し出した。繰り出される言葉は素晴らしく男振りが良かったのが印象に残っている。

その演説にも似た話の中で時々見せる美しい笑顔は、本当に心地よく安心を紡ぎだしてくれた。もちろんその時は、だらしなくゆるんだ服装ではなかった。

しかし、あの長い時間をかけてドロッとした甘酸っぱいジュースを飲んだ思い出は、今では日課になってお互いのコミュニケーションの場になっている。

お酒を飲む量に比例して目の潤いが増し桃のように頬を染める穂乃香という人間はきっと『人を信じる事から始める』そういう付き合い方をする人なのだと重ねる会話を通じて思った。

今、姫依と同室内のビアンカは、まだ馴れていないのだろうか、ゲージを開けても外に進んで出ようとしないで大人しく姫依を伺っている。

*

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